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再び、否、三度日本料理 [自作料理:日本料理]
皆様こんにちは
新庄でございます。
ゴールデンウィークと言うヤツに世間は入っている中、私の生活は全く関わりなく送られておりますが皆様は楽しんでいらっしゃいますでしょうか?
と言っても私が特別なわけではないですからね、日本人の6割くらいはカレンダー通りの休みを経験していないんではないでしょうか?寧ろ世間は休みなのに……ときっと多くの人が思いはしている事でしょう。
そんな方がちょっとした時間で楽しんでいただけるように私は今日も料理と雑学のブログを更新していきます私はこれ書いて楽しんでおりますし、この私の楽しみが人の楽しみにもなれば更に楽しくなりますからね
と、そんなわけでここのところ日本料理を続けていますが今日も日本を代表する料理でございます。期待した方いたらごめんなさい、先に言っておきますが寿司ではないです。
今日ご紹介するのはコチラ
ソバです、蕎麦の方が日本料理っぽくて見栄えがいいですね。まぁ当然これだけでは味気ないのでしっかりとアレもご用意させていただきました。
一緒に食べますよね蕎麦とコレ
てんぷらでございます。今回はもう春が終わってしまうという事で旬の物、春野菜のてんぷらがメインですとなっております。
タラの芽、たけのこの土佐煮、お茶の葉、キヌサヤ、にんじん。写真に入っていませんがふぐとイカのてんぷらも作りました。
蕎麦にはてんぷらですよねやっぱり。日本人ならコレは欠かせません。まぁさっぱりとした物が食べたいときにはてんぷら無しで「かけそば」「ざるそば」なんかもいいですよね。
てんぷらについては以前の記事でご紹介しているので今日はそんなお蕎麦についての雑学をご紹介いたしましょう。
蕎麦は、「ソバの実」を原料にした麺類です。「そば」とか「ソバ」と言うと広義の意味では麺の事を指しています。焼きそばとかシナソバとか言いますよね?なので蕎麦と書いてある場合は日本蕎麦という区別をする訳です。
歴史は古く、スシ、テンプラ、スキヤキと並ぶ海外でも知られた代表的な日本料理です。この蕎麦の味の決め手である蕎麦汁は、地方や地域によって色も濃さも味も原料も違いがあり、その成分も各地によって好みが分かれます。関西は出汁系、関東は醤油系みたいに言われていますね。
まぁここまではいいでしょう。日本人なら殆どの人が知っているはずですからね。なのでだんだんマニアック、もとい詳しいことに触れていきます(笑)
日本へ中国から「ソバの実」が伝わったのは奈良時代以前であることは確実だそうで、奈良時代のソバ栽培の奨励を命じた書類が発見されているそうです。しかしソバはそのまま食べようとしても恐ろしくまずいのです。
麦や米はもちろん稗とか粟の方が幾分かマシと言われ、上流階層である貴族や僧侶からは蕎麦は食べ物であるという認識すらなかったと当時の詩や文献で残されています。
ソバはあくまで農民が飢饉などに備えてわずかに栽培する程度の雑穀であり、粒のまま粥、あるいは蕎麦粉にして蕎麦掻きや、蕎麦焼き(今で言う蕎麦粉クレープの分厚い版)などで食べたそうで。蕎麦粉を麺の形態に加工する調理法は、16世紀の終わり(信長や秀吉たち戦国大名の時代)になってやっと生まれたと言われています。
当時何とかしてこの不味い物をおいしくは出来ないかといろいろな人がいろいろな方法を試してみた物のうまくいかず、ついに麺料理に使うと言う発想に至り成功させたのは何とお寺の方です。
この時代のお寺の方は何かと一杯持っています。大きなお寺の方は時間もお金も物資もへたな大名より持っていたといわれる方もいます。そんなお寺の方に料理にこった人がいたのでしょうね。
長野県の定勝寺に残るのが最古の記録で、恐らくこのお寺で生み出されたのが、我々の思い浮かべる蕎麦となります。他の説も多々あるようですが、どちらにしてもやはり長野が蕎麦発祥の地という事は間違いないようです。
当時そもそも麺にした蕎麦なんてなかったので蕎麦掻きと区別するため、この麺状にしたものを蕎麦切り(そばきり)と呼んでいたのですが、蕎麦掻なんかよりもソバの実の使い方と言ったらコレでしょうとなり、だんだん蕎麦といったら蕎麦切りのことを指すようになりますが、現在も蕎麦切りと言う名前で呼ばれる地域も一部長野などにあります。
では歴史に関してはここまでとして夏もすぐそこですし、冷たい蕎麦の料理を今回はご紹介しましょう。
①もり蕎麦・ざる蕎麦
実はこの二つに差はありません。なぜならもともとの名称は「竹ざるに盛った蕎麦」だからです。と言ってもこの「もり蕎麦」と「ざる蕎麦」を区別する方法はちゃんとあります。
元々江戸時代ぐらいにこの竹ざるに蕎麦を盛る。と言う方法が流行ったようなのですが、それ以前の蕎麦の入れ物として使われていた物は蒸し器である「せいろ」なので、竹のざるに入っている物がざる蕎麦、せいろに入っていたり、皿に盛ってあったらもり蕎麦と区別できます。
一番古い食べ方で、茹で上がった蕎麦を水で洗い、冷たい蕎麦汁につけて食べると言うシンプルさ。汁の薬味として、摺り下ろしたわさびと刻んだネギが定番ですが、ゆず胡椒を入れたり七味を使ったりする地方もあります。
②かけ蕎麦・ぶっ掛け蕎麦
実はコレも元は同じ物です。正確に言うと元々の名称は「ぶっ掛け蕎麦」と言い、蕎麦に汁をかけて食べる方法です。
かけ蕎麦と言うと熱いイメージがあると思いますが、元々は冷水で締めた蕎麦に温かいつゆを「ぶっ掛け」て食べる。と言うのが原型です。なのでどっちかと言うと「温い」というより「ぬるい」そばです。寒い冬の日に、もり蕎麦の蕎麦汁をせめて温めて欲しいと言われお客様がその暖められた汁を皿に盛ってあった麺に「ぶっ掛けた」事が始まりだそうです。
それに対してぶっかけ蕎麦は冷たい麺に冷たい汁をかけて食べます。かけ蕎麦食べ方をそうやって食べる物なのかと勘違いした人が始めたとか、他のお店のざる蕎麦に対抗するためにもり蕎麦をアレンジしたとかとも言われています。
今ではかけ蕎麦と言ったらどんぶりに入った温かい汁に蕎麦が入っているもの、ぶっ掛け蕎麦といったら冷やし中華みたいな平皿に盛られた蕎麦の上に具が乗っているやつに汁をかけるものとはっきりと分かれて進化しましたのでコレを知っている人は少ないでしょう。
余談ですが出水そばや出雲そば、それから椀子蕎麦は定義で言うならぶっ掛け蕎麦に入ります。えって感じですが、汁をつけて食べるか、汁に浸かっているかで判断するしかないのでこうなります。
さて、また結構な分量となってしまいましたねでは今日はこの辺にさせていただこうかと思います。
ちなみに以前は蕎麦もうどんも大概どちらもお店のメニューに載っていたのですが、蕎麦にアレルギーを持つ方がおり、アレルギーに対する認知度が上がってきた事でだんだんうどん専門と言うお店が増えたような気がします。蕎麦好きには残念ですね
それでは新庄純次でした。
新庄でございます。
ゴールデンウィークと言うヤツに世間は入っている中、私の生活は全く関わりなく送られておりますが皆様は楽しんでいらっしゃいますでしょうか?
と言っても私が特別なわけではないですからね、日本人の6割くらいはカレンダー通りの休みを経験していないんではないでしょうか?寧ろ世間は休みなのに……ときっと多くの人が思いはしている事でしょう。
そんな方がちょっとした時間で楽しんでいただけるように私は今日も料理と雑学のブログを更新していきます私はこれ書いて楽しんでおりますし、この私の楽しみが人の楽しみにもなれば更に楽しくなりますからね
と、そんなわけでここのところ日本料理を続けていますが今日も日本を代表する料理でございます。期待した方いたらごめんなさい、先に言っておきますが寿司ではないです。
今日ご紹介するのはコチラ
ソバです、蕎麦の方が日本料理っぽくて見栄えがいいですね。まぁ当然これだけでは味気ないのでしっかりとアレもご用意させていただきました。
一緒に食べますよね蕎麦とコレ
てんぷらでございます。今回はもう春が終わってしまうという事で旬の物、春野菜のてんぷらがメインですとなっております。
タラの芽、たけのこの土佐煮、お茶の葉、キヌサヤ、にんじん。写真に入っていませんがふぐとイカのてんぷらも作りました。
蕎麦にはてんぷらですよねやっぱり。日本人ならコレは欠かせません。まぁさっぱりとした物が食べたいときにはてんぷら無しで「かけそば」「ざるそば」なんかもいいですよね。
てんぷらについては以前の記事でご紹介しているので今日はそんなお蕎麦についての雑学をご紹介いたしましょう。
蕎麦は、「ソバの実」を原料にした麺類です。「そば」とか「ソバ」と言うと広義の意味では麺の事を指しています。焼きそばとかシナソバとか言いますよね?なので蕎麦と書いてある場合は日本蕎麦という区別をする訳です。
歴史は古く、スシ、テンプラ、スキヤキと並ぶ海外でも知られた代表的な日本料理です。この蕎麦の味の決め手である蕎麦汁は、地方や地域によって色も濃さも味も原料も違いがあり、その成分も各地によって好みが分かれます。関西は出汁系、関東は醤油系みたいに言われていますね。
まぁここまではいいでしょう。日本人なら殆どの人が知っているはずですからね。なのでだんだんマニアック、もとい詳しいことに触れていきます(笑)
日本へ中国から「ソバの実」が伝わったのは奈良時代以前であることは確実だそうで、奈良時代のソバ栽培の奨励を命じた書類が発見されているそうです。しかしソバはそのまま食べようとしても恐ろしくまずいのです。
麦や米はもちろん稗とか粟の方が幾分かマシと言われ、上流階層である貴族や僧侶からは蕎麦は食べ物であるという認識すらなかったと当時の詩や文献で残されています。
ソバはあくまで農民が飢饉などに備えてわずかに栽培する程度の雑穀であり、粒のまま粥、あるいは蕎麦粉にして蕎麦掻きや、蕎麦焼き(今で言う蕎麦粉クレープの分厚い版)などで食べたそうで。蕎麦粉を麺の形態に加工する調理法は、16世紀の終わり(信長や秀吉たち戦国大名の時代)になってやっと生まれたと言われています。
当時何とかしてこの不味い物をおいしくは出来ないかといろいろな人がいろいろな方法を試してみた物のうまくいかず、ついに麺料理に使うと言う発想に至り成功させたのは何とお寺の方です。
この時代のお寺の方は何かと一杯持っています。大きなお寺の方は時間もお金も物資もへたな大名より持っていたといわれる方もいます。そんなお寺の方に料理にこった人がいたのでしょうね。
長野県の定勝寺に残るのが最古の記録で、恐らくこのお寺で生み出されたのが、我々の思い浮かべる蕎麦となります。他の説も多々あるようですが、どちらにしてもやはり長野が蕎麦発祥の地という事は間違いないようです。
当時そもそも麺にした蕎麦なんてなかったので蕎麦掻きと区別するため、この麺状にしたものを蕎麦切り(そばきり)と呼んでいたのですが、蕎麦掻なんかよりもソバの実の使い方と言ったらコレでしょうとなり、だんだん蕎麦といったら蕎麦切りのことを指すようになりますが、現在も蕎麦切りと言う名前で呼ばれる地域も一部長野などにあります。
では歴史に関してはここまでとして夏もすぐそこですし、冷たい蕎麦の料理を今回はご紹介しましょう。
①もり蕎麦・ざる蕎麦
実はこの二つに差はありません。なぜならもともとの名称は「竹ざるに盛った蕎麦」だからです。と言ってもこの「もり蕎麦」と「ざる蕎麦」を区別する方法はちゃんとあります。
元々江戸時代ぐらいにこの竹ざるに蕎麦を盛る。と言う方法が流行ったようなのですが、それ以前の蕎麦の入れ物として使われていた物は蒸し器である「せいろ」なので、竹のざるに入っている物がざる蕎麦、せいろに入っていたり、皿に盛ってあったらもり蕎麦と区別できます。
一番古い食べ方で、茹で上がった蕎麦を水で洗い、冷たい蕎麦汁につけて食べると言うシンプルさ。汁の薬味として、摺り下ろしたわさびと刻んだネギが定番ですが、ゆず胡椒を入れたり七味を使ったりする地方もあります。
②かけ蕎麦・ぶっ掛け蕎麦
実はコレも元は同じ物です。正確に言うと元々の名称は「ぶっ掛け蕎麦」と言い、蕎麦に汁をかけて食べる方法です。
かけ蕎麦と言うと熱いイメージがあると思いますが、元々は冷水で締めた蕎麦に温かいつゆを「ぶっ掛け」て食べる。と言うのが原型です。なのでどっちかと言うと「温い」というより「ぬるい」そばです。寒い冬の日に、もり蕎麦の蕎麦汁をせめて温めて欲しいと言われお客様がその暖められた汁を皿に盛ってあった麺に「ぶっ掛けた」事が始まりだそうです。
それに対してぶっかけ蕎麦は冷たい麺に冷たい汁をかけて食べます。かけ蕎麦食べ方をそうやって食べる物なのかと勘違いした人が始めたとか、他のお店のざる蕎麦に対抗するためにもり蕎麦をアレンジしたとかとも言われています。
今ではかけ蕎麦と言ったらどんぶりに入った温かい汁に蕎麦が入っているもの、ぶっ掛け蕎麦といったら冷やし中華みたいな平皿に盛られた蕎麦の上に具が乗っているやつに汁をかけるものとはっきりと分かれて進化しましたのでコレを知っている人は少ないでしょう。
余談ですが出水そばや出雲そば、それから椀子蕎麦は定義で言うならぶっ掛け蕎麦に入ります。えって感じですが、汁をつけて食べるか、汁に浸かっているかで判断するしかないのでこうなります。
さて、また結構な分量となってしまいましたねでは今日はこの辺にさせていただこうかと思います。
ちなみに以前は蕎麦もうどんも大概どちらもお店のメニューに載っていたのですが、蕎麦にアレルギーを持つ方がおり、アレルギーに対する認知度が上がってきた事でだんだんうどん専門と言うお店が増えたような気がします。蕎麦好きには残念ですね
それでは新庄純次でした。
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